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2018/03/07 18:12

同朋舎新社では平安・鎌倉時代の重要文化財「別尊曼荼羅」を保護し、未来に伝える図像集『密教図像集』刊行!のクラウドファンディングを実施していますが、この場をお借りして、仏教や曼荼羅を理解するのは難しいと感じる方々も多いことと思いますが、身近でわかりやすく、ご紹介していきます。


今回ご紹介する「曼荼羅のほとけさま」シリーズ第2弾は十二天像「帝釈天」です。

曼荼羅集には十二天像が掲載されていますが、十二天とは仏教の守護神、十二の諸尊の総称です。


東西南北の四方と、東北、東南、西北、西南、の護世八神、天・地、日・月の十二の方角を護る性格から、画像に描かれて仏教の重要な修法や儀式で掛けられ、道場を守護するのに多く用いられています。


この中の「帝釈天」は、東の護神として、また病の消滅・不老長寿の護法神として信仰されています。


(*写真は「十二天像」 国家鎮護を見守る護法善神たち(仏教検定協会))


■帝釈天といえば、柴又!寅さん!


(*写真は「寅さん映画ポスター」(寅さん会館))


柴又帝釈天は、江戸の時代「庚申まいり」には、人びとが灯をかざして田んぼ中の道につらなり、「病即消滅・不老不死!」を唱えながら、柴又の帝釈天に新しい生の「更新」を願ったと伝えられます。


京成線、柴又駅を出ると「寅さん」が出迎えてくれます。

名物の草だんごやせんべいを売る店、川魚料理店などが並ぶ商店街を進むと参道の途中に「南無妙法蓮華経」の経文と「帝釈天王安置」とが刻まれた立派な石碑が建っているのが目に入ります。


柴又帝釈天は正式には日蓮宗の「題経寺」という寺です。

ここには、日蓮聖人の刻したと伝えられる「帝釈天」板本尊が安置されています(普段は非公開)。この像は、右手に剣を持ち、左手を開いた忿怒相の帝釈天で「除病延受」「悪魔降伏」の尊形として、仏の教えを信仰しこれに随順する人に、もし災いが降り掛るなら、仏法守護の帝釈天が出現し必ず悪魔を除き退散せしめると伝えられます。


この帝釈天像は、安永八年(1779年)の春、庚申(かのえさる)の日に、本堂修理の際に発見されたことから「庚申」を縁日と定められ、江戸時代には庚申信仰として盛んになり今日までの盛んな信仰へと継がっています。


■帝釈堂の見どころは!?

帝釈堂の内陣の東・北・西の外側は、全面に装飾彫刻が施されており、中でも10枚の胴羽目彫刻になって飾られている、仏教経典の「法華経」説話は見応えがあります。


縦127cm、横227cm、厚さ20cmのケヤキ材に法華経で説かれる10の物語が展開されているのです。また、羽目板の上方には十二支と天人も浮き彫りされ、帝釈堂が外からも荘厳され守護されている様子が窺えます。

回廊に添って中庭を巡る途中に、奉納された古い絵馬が飾られておりその1枚には、帝釈天がこの地に降り立って、湧水(御神水)をもたらした様子が描かれています。その伝えを証すような御神水が今も勢いよく湧出しています。


そんな帝釈天は元はインドのバラモンの神で、四天王(持国天、増長天、広目天、毘沙門天)を配下に持ち、須弥山(しゅみせん)の頂上に住してます。元来は、阿修羅とも戦闘経験のある武勇の神でしたが、仏教に取り入れられ、釈迦の成道前から釈迦を助けよく説教を聴聞したことから、梵天と並んで仏教の二大護法善神となりました。

帝釈天は東大寺法華堂、唐招提寺金堂、東寺講堂須弥壇、醍醐寺などの他にも安置された尊像を拝仏することができます。